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2006年07月 アーカイブ

2006年07月02日

33.過去のヒト、未来のヒト

 昔好きだったあのヒト。昔付き合ってたあのヒト。
思い出すと、甘酸っぱいような切ないような、そんな思い出が誰にでも
あるかもしれません。

 あの時、あんなに一生懸命だったキモチや行動力。
そして、夢中になっていたあの輝かしい日々。

 ふと。

 そんなヒトに、再会する機会というのは神様の悪戯心なのか
あったりなかったりします。思い出される思い出の数々…。
痛々しい思い出の数々。色々あるかと思います。

 明らかに違うと言えるのは、あの時よりもお互いに
成長し、大人になっているという変えようの無い事実。

 極稀に、再び縁が巡ることもあるかもしれません。
けれど、お互いに別な相手がいるかもしれないし
関係を取り戻せるような環境にいないかもしれない。
それよりも、「人生の通過点」という存在だったかもしれない
存在の相手に、逆行するかもしれない。
という考えは拭えないでしょう。
もちろん、それを払拭できる理由があれば逆にアリかも。

 もちろん、未だ知り得ぬ未来で待つヒトという存在も
あるでしょう。そしてそれを選択するのは自分自身であるし
他の誰でも有りません。

 もっとも…、過去・未来のほかにも
「私をとりまく人間関係」という概念を理解する必要がありますが。

2006年07月03日

34.裕福であるのは心か財布か

 極端な例ですが、みなさんはどちらを望むでしょう。
・「貧しいが笑顔が耐えない家庭」
・「裕福だがギスギスした家庭」

 まあ、どっちだって一長一短あるわけです。
精神的な心の豊かさか、財布の経済力か。
貧しさか、ギスギスした精神的重圧か。

 なんとなく、近頃は裕福でも心の貧しい家庭が増えている
ような悲しいニュースが多すぎるような気がします。
人間ナマモノですから、感情に左右されるということは非常に
多いこともあるでしょうけれど、そんなときにこそ、心の
貧しさや裕福さというものは発揮されると思うのです。

 お金で愛は買えませんが維持は出来ます。
しかし、心の豊かさや優しさというものは、その個々人が
持ってその人生で成長させてきた結晶のようなもの。
揺るぎないものなのです。

 企業のトップに立つような方は、その社内方針にも
そうした面が出るようです。

社員をファミリーとしてとても大事にするか。
それとも、ただの使いゴマなのか。

 会社というのは、会社としての人格や株主への還元性から
非常に公共性や成長を求められます。が、そこで働く社員や
従業員がその会社を好きで一緒に成長しなければ、惰性でしか
ないのです。海外のある企業では、従業員数が数千人規模で
社内敷地内に病院や銀行、保養施設、レストランを完備。
いずれも会社負担で賄われいる上に、それらの施設の従業員も
また、その会社の従業員なのだそうです。
その会社の方針としては、従業員が会社を好きになって
頑張ってくれるのなら、会社は従業員のためにも還元するのがアタリマエ。
共存共栄が成り立てば、離職率も限りなくゼロで
いつまでも頑張って働いて貰える。

 これは、会社のトップにいるヒトの心がとても裕福だったからこそ、
会社も、従業員にも裕福になりましょうという一例。

ところが、今の日本の企業では、これを実践するトップは
おかしいんじゃないかと言われるぐらい、従業員への冷遇が横行しています。

 もっとも、最近ではソフトバンク/日本テレコムが
庭園の中のような業務空間をフロア内に設けて、自由に業務が
行えるような本社業務が行われ、社内レストランに至っては
1フロアがまるまる全部レストラン。
各メニューごとに分離厨房が存在し、さながら巨大なセルフ
サービスレストランのようでもあります。
非常に評判もよく、好評な上、日本ではあまり無かったスタイルなので
毎週のように取材撮影が行われているようです。

 つまり、経済的な裕福さというものは所詮は
現金でどうにかなってしまえるもので、心の裕福さというのは
決して現金では買えないものなのだということです。

 巷で流行りのセレブに憧れるのは、誰にでもあることですが
それは自分に無いものだから憧れるのであって、そこに価値を
見出さない者には、憧れでもなんでもなくただの虚像でしか
ありはしないのです。

 もちろん、セレブに価値を見出せるのであれば、そこに
尽力することで、セレブの一片でも取り込みたいと思うでしょう。
それはその人にある価値観であって、誰もがというものでもないのです。

 セレブなものに価値観を見出すか。
 愛しい人や家族の笑顔に価値観を見出すか。

それは、その人それぞれの価値観であり、心の裕福さを映す鏡でもあるのです。

 柊木彩弥です。
7月ですねえ。梅雨ですねえ。雨ですねえ…(;x;)
心の裕福さと財布の裕福さ。
お財布の裕福さって有限なんです。食い潰したら終わり。
でも心の裕福さって、無尽蔵でしかもレア。
どちらも持ち合わせている人なんて、それこそ日本に何人いるだろう
ってぐらい少ないかもしれませんが、まあ、そこそこいるかもしれません。
それでも、目先の経済力よりかは、心の裕福さのほうが
私には価値があると思うのです。
もちろん、それでメシが食えるということではないのですが。

1年ほど前には、なんだか色々と思い悩んだような時期も
あったような気がするんですが、価値観が違えば対立した
ところで平行線のままだし、そもそもが無駄な議論で
お互いが自己の正論を振りかざす以上はどうにもならない
というのが結論なのだとよーくわかったので、結局は
妥協や歩み寄れる心の裕福さや心の広さ、許容性というものを
持ち合わせていないと、人付き合いが難しい人物という存在に
気付いただけでも心を痛めた価値があるってもんだと
学習いたしました。

 人間、面白いものでイヤなことは忘れるように出来ている
ようで、もはやそれら人物の顔や声すら思い出せませんw
(まあ、見れば解るんでしょうが)
どんな顔だったかな、どんな声だったかな?と思い返して見ても、
ぼんやりと思い出せないのです。
せっかく貴重な学習を得るきっかけの人物なので記念に
思い出せても良さそうなモンですが、記憶の片隅から
発掘できないので、そのまま埋め立てておくのがいいのかもしれませんね。

 というわけで、2連続とか久々に更新してみました。
次の更新はいつかしら…(トオイメ

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