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しあわせの定義。



ひとそれぞれ。ちょっぴりの幸せで満足するひともいれば


もっともっとと際限なくしあわせを求めるひともいる。


そのしあわせの下にはすごい苦労やそれを取り巻く環境の上に成り立つんだけど


それを知らない人は、しあわせだけしか見ていなくて、苦労や取り巻く環境など


しあわせに至るプロセスを見ようとしない。


かつて婚約破棄した人は、自己犠牲によって周囲が幸せならば、それでいいと思っていた。


1年後、自分の求めるしあわせを相手に強いてた。


自分の思い通りにならなくて突き放した結果、その人はとても傷ついた。


しあわせは二人で創造するもののはずなのに、一方的なしあわせのための押し付け。


婚約破棄した氏は、しあわせというものがなんなのか。きっと理解できていない。


歩調が合わないからもっと早く歩けと、身内の年寄りに言ってるのと同意である。


確かに早く歩けば一緒に歩くことで、同じ視点で見れる。


頑張れば出来るだろう。


でも。


それは本来のペースじゃない。本当に相手のことを思うのなら…


歩調を相手に合わせることがしあわせだと考える。


相手の視点に降りる、相手に合わせるということを忘れたとき


自分のペースで突き進むのはカンタンだ。が、気づいたら大事な人を置いてきた。


誰も回りに一緒にいてくれる人がいない…なんてことになるのは、容易に想像がつく。


その時に慌てて引き返したときに、置いて来た身内が事故にあったり


悪意ある他の人が手を取っていたら…。


ま、そんな人は引き返すようなことはしないので、一生気付かない罠ですが。


逆もまた然り。


相手に合わせてハイペースで走ってたら息切れもする。


そこで相手が一緒に止まってくれなかったら、すれ違ったままだ。


他人だからこそ難しい。切り捨てるのはカンタンだが、一緒に道を歩いていくのは協力


が欠かせない。だからこそ、生涯のパートナーというのは重要だ。


ふたりで協力して得られるしあわせが強固であればあるほど。


いやいや。一冊本が出来そうだ。難しいなあ。


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2005年06月03日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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